10:体罰が教育と呼べない理由。体罰は人としての成長を止めてしまうもの。

      2017/10/20

子供が言うことを聞かなかったり、同じ悪さを何度も繰り返してしまうと、つい強く叱ったり、場合によっては体罰を使って子供に理解させようとしてしまうこともあるかと思います。

あなたは “子供に対する体罰” について、どう思いますか?

 

今回は “体罰の抱える危険性” について、僕なりの考えを話させていただこうと思います。

 

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 体罰の抱える危険性

僕は小学校の5・6年生の頃、毎日のように体罰を受け続けてきました。

僕が子供の頃は、まだ学校で先生による暴力がまかり通るような時代でした。

先生が生徒を少々叩いたりしても、全く問題にはならなかったんです。

 

そして僕が5・6年生の時の担任が、とても怖い人でした。

体格の良い男性で、とにかくすぐに手が出る。

忘れ物1つしただけでも、すぐ廊下に立たされ、その場で平手打ちをされる。

しかもその威力が半端じゃない。

叩かれた生徒はその反動でよろめいたり吹き飛んでしまうほど。

またある時は、学校の誰かがイタズラで壁に落書きをし、犯人はおそらく僕のクラスにはまずいないと思われるにも関わらず、僕のクラスだけが全員平手打ちで殴り飛ばされたこともあります。

すぐ殴る、しかも殴り方が普通じゃない、とにかく体罰を使う担任でした。

 

 

そして僕ら生徒が担任から体罰を受け、その後どう反省し、どのように態度を改めていったか。

 

この担任の体罰は、僕らが小学校を卒業するまで続きました。

僕らはひたすら殴られ続けました。

殴られるのはすごく怖い。

じゃあなぜ僕らは殴られないように態度を改めなかったのか?

 

人間というのは強い恐怖心を感じると、思考停止に陥るかパニック状態になります。

頭が働かない、何も考えられなくなるんです。

そして小さな子供が体の大きい大人から体罰を受けるというのは、ものすごい恐怖です。

体罰を受けてる時の子供の頭の中は、完全に思考が停止してしまってるんです。

 

 

体罰を受けるということは、子供が何か悪いことをしてしまったということですよね。

でも悪いことをしたのであれば、「何が悪かったのか?」そして「今後どのように改善していけばいいのか?」ということを反省しつつ考えていかなければならないわけです。

でも体罰を受けてる最中の子どもは、恐怖のため思考停止を起こしています。

自分の何が悪かったのか、なんて考える余裕もありません。

頭の中は、ひたすら「この体罰が早く終わってくれること」しか考えてないのです。

反省とは、程遠い状態なのです。

 

体罰をする人間というのは、そのことに全く気付いていません。

子供の恐怖で硬直した表情を見て、「反省している」と大きな勘違いをしてしまってるんです。

 

そして、中にはこの恐怖に打ち勝つ子供もいます。

体罰の恐怖に耐えられる子供なら、体罰を受けてる最中でも反省出来るのか?といえば、残念ながらそうはなりません。

そういう子供の心の中には、反発心が生まれます。

いつか仕返ししてやる…そんな復讐心が生まれてしまうのです。

 

また体罰を受けて育った子供というのは、反省する代わりに「どうすれば怒られないようになるか?」というのを考えるようになります。

自分のしたことが「良いことか悪いことか」ということを考えるのではなく、どうすれば怒られなくて済むようになるのかという “方法” を考えるようになるんです。

つまり、 “人として良いか悪いか” といった “善悪の判断基準” がしっかりと育たない危険があるんです。

 

 

子供を叱る行為というのは、子供が悪いことをしてしまったということを子供自身に気づかせ、反省させ、そしてその失敗を今後の人生に活かさせることが目的です。

だから子供に対し感情的に怒鳴ったり体罰を加えるというのは、むしろ逆効果になってしまうのです。

教育で大切なのは、何がいけなかったのか、子供にその問題と向き合わせ、子供自身の頭で考えさせること。

感情的に怒鳴ったり叱ったりするのではなく、親が子供と一緒に問題と向き合い、一緒に考えてあげる。

そして親が子供に答えを与えるのではなく、子供自身で気づかせ、自分で答えを出させること。

 

 

僕は子供時代、小学校以外でも大人や年上の人間から体罰や嫌がらせを受けてきました。

だから体罰を受ける側の人間の気持ちや恐怖は、痛いほど分かります。

もちろん、いつでもどんな時でも100%体罰を否定するわけではありません。

命に関わるようなことや、周りに大きな迷惑をかけてしまうような時は、体罰を使わざるを得ない時もあるかもしれません。

でも分かって欲しいのは、教育で大切なのは罰することではなく、子供自身の頭で考えさせること。

 

体罰など恐怖の伴った罰は、子供から “考えること” を奪います。

そして恐怖心は、その時だけでは終わりません。

恐怖心はその人間の心に居座り続けます。

場合によってはトラウマとなって、その人間の心をかき乱し続けます。

 

体罰は教育ではありません。

悪いことや間違ったことをすれば、注意をしたり叱ったりすることも必要です。

でも体罰は、全く次元の違う話です。

教育とは関係ありません。

体罰は、暴力です。

 

子供のことを考えるのであれば、体罰ではなく子供と話し合い、子供に考えさせ、子供自身の中にきちんとした善悪の判断基準を確立させてあげることが最優先だと僕は考えます。

人生の壁や問題にぶつかった時、自分の頭で考え、自分の力で乗り越えられる力を身につけさせてあげることが、親として子供にしてあげられること。

子供を思考停止に陥らせるのではなく、ピンチの時こそ頭をフル回転させられる人間になれるよう、子供を育てていきましょう。

 

 

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